ほーまんにもほどがある

豊満を超越した平凡主婦がだらだら持論を展開するブログ

【39日目】あれから8年【あと50日・残り5.3kg】

昨夜から今朝にかけての強い雨と、雨がやんだあとの晴れ渡りっぷりに

「ああ、今日もスギの花粉が歌え踊れの大宴会・・・」と、

種の存続に張り切るスギを恨む粘膜全てをしまっておきたい女私ですこんばんは。

 

土曜のサロン営業でお客様を迎え入れたときに、

遠慮してコートの花粉を払っていただかなかったので家内に花粉が侵入したらしく、

昨日から今朝にかけて目と喉がめっちゃ痒いです。

あああ。もう取り出してがっしゅがっしゅ洗いたい!(←痛そう)

 

そんな身体中の粘膜炎上中の私の本日の計測記録です。

体重:68.3kg(前日比 -0.2kg) 

体脂肪率:32.7% 

昨日はブログをサボってしまいましたが、昨日は68.5kgでしたので辛うじて減です。

ただ、この土日も普通に暴食していましたので、

その影響が明後日当たりに来るのが怖い・・・・。(←毎週言ってる)

 

朝:たんぱくおとめ+水 

昼:おにぎり(梅) ブリスボール2個 味噌汁 

夜:(17:00)パストラミサンド  (22:00)ローストビーフサラダ

間:コーヒー 

EX:プランク1セット スクワット1セット 

睡眠時間:23:30~4:50 5.3H 

今日は夜、予定があったので、お弁当箱を持っていくのがいやで

久々に白米のおにぎりを持っていきました。

炭水化物onlyなのもどうかと思ったので、他に持っていけそうなものもなく

金曜日に作ったブリスボールも持っていきましたが、これってどうなのかしら?

おにぎり二つでごはんが160g、ブリスボール2個っつうのは

結構な食べすぎなんじゃないか?

それにしてもブリスボールの腹持ち凄い!

午後、結構な時間までお腹がパンパンでした。く・・・苦しい。

 

夜は母と、母友人のお付き合いで東日本大震災のチャリティコンサートへ。

会社をちょっと早退して夜ごはんとして軽く食べてからいきました。

コンサート終わってからだと遅い時間に食べることになりますからね。

とは言っても、小さなサンドウィッチを急いで食べるだけでは足りず

帰りにボリュームある肉肉しいサラダを買ってしまいました。

ま、間食しなかったからいっか。

 

今日は3月11日。

あのたくさんの人の生活と運命を変えた日からもう8年も経ちます。

毎年この日には報道各社が震災の特集を組んで放送していますが

時間というのは凄いもので

風化させてはいけないものも風化してきている感は否めません。

私自身は関東に(っていうかほぼバレていると思いますが神奈川)

に住んでいるので、関東の中では震源から遠い方なのですが、

それでもあの日の地震の衝撃はものすごいものがありました。

 

当日は自宅サロンの予約が入っていたものの、

たまたま当日朝にお客様が体調を崩されたとのことでキャンセルになったのです。

もしも予定通りにいらしていたら、メニュー上お客様はほぼ全裸状態だったし、

私はきっとどうしたらいいかわからなかった。

地震のあと、我が家はすぐに停電になってしまったし、

復旧する21時まで何も情報がないまま過ごすことになりました。

TVもなく、唯一の情報源であるラジオも被害甚大の所のニュースを繰り返していて

自分の身の回りの情報が全然入ってこなかったことが意外と辛かったです。

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自分のことで精一杯で、そもそもTVが見られないから

仙台や福島で何が起こっているかなんて全然知りませんでした。

 

私の友人が名取市に住んでいます。

彼女の勤務地はゆりあげ地区で、たまたま彼女は仕事が休みだったけれど、

職場ではやはり被害が出たそうです。

こちらでは当日中に電力が復旧して、それ以外のインフラにも影響が出ず、

次の日から出勤できるくらいでしたが、

そうなってくると気になるのが友人の安否です。

 

当時流行っていたSNSmixiって覚えてる?)をマメに更新していた彼女が

ログインしない日が2週間くらい続き、

ようやく「個々に返事できないけど私は無事です」

とupされた時には本当に涙が出てしまいました。

彼女は現地の情報をmixiに上げてくれて、足りない物資も教えてもらったけれど、

当時は輸送も現地までは届かず、届いた頃には次の物資が必要で、

となかなか歯がゆい思いもしました。

 

彼女はとても明るく元気に被災の生活を送っているように書いていたけれど

(住んでいたマンションは全くの無事だったのが救いです)

インフラ壊滅状態で本当はとても大変だっただろうと思います。

 

私は彼女の発信する文章でしか震災を経験していませんし、

福島原発事故も自分の住んでいた家に帰れない状況というのが想像しかできません。

 

阪神淡路大震災の時は日本にいなかったので蚊帳の外から震災を見る感じでしたが、

東日本大震災でようやく自力での備えや、

お客様を迎え入れている時の避難等に目が向くようになりました。

 

あの震災で犠牲になった方々を悼むとともに、

何が正解かはわからないけれど、対策、検討、準備は

常に怠らないようにしなくちゃいけないな、と深く思うのでした。

 

普段はちゃらけてますが今日はちょっとマジ。

ホントは言いたいことが山ほどあるけど、今宵はこの辺にいたしとうございます。